ぽつぽつ音楽野帳

小物楽器を野外で鳴らして、街角のピアノを弾いて、聞こえてくる音を聴いて。

 

10年くらい前、折り紙で簡単な凧を作って、行く先々で場所と時間があれば揚げていた。久留米の筑後川河川敷で揚げた時は凧が見えなくなって川に落ち、糸を数百メートル分ぐらい引っ張って回収した。捨てずにとってある。

先日、舞鶴公園で家族連れの方々が凧を揚げているのを見て、ああひさしぶりに揚げてみたいなと思ったのを思い出した。

 

海 〜 私はここにいます

 

浜辺で、この陽射しの下で、「春よ、来い」は似合わない気もしたけれど、吹いていたら「私はここにいます」のところで大海原を感じた。

東に開けている海は好きだ。東から海と空の光がやってくるととても新鮮に感じる。

(宮崎の海と空をどこかで思い出しているのだと思う) 

 

石山寺と瀬田川

 

びわ湖マラソンをちらっと見ていてちょうど石山寺が映った。むかし、石山寺正面のおみやげ屋さんが並ぶ軒から大きな松の木が飛び出しているのを見た。木を伐らずにそのようにしてある様子だった。今日テレビで見たら変わらずそのままで、少しじんとした。

 

その頃は石山寺駅のそばに駄菓子屋さんがあって、店主のおばあさんと話し込んだ。数年続けて関西に行く機会があって、そのたびに電車に乗って出かけていった。最後の年にお店が閉まっていた。

 

出先でオカリナを吹くようになったのは石山寺のすぐそばの瀬田川の河原が最初だった。広い琵琶湖のほうから川の水が流れてくるのがはじめは不思議な感じだった。

 

音楽は「そこにいる人」が奏でるものだった…

 

公園で小さなこどもさんを目の前にして演奏すると、こどもさんは最初たいてい「どうしたらいいかわからない」感じのとてもとまどった反応をなさる。たぶん、なにが起きているのかわからないのではと思う。

 

ひょっとしたらだが、今のこどもさんには、音楽はテレビとか何かの機械から聞こえてくるものであって、人が奏でるものだと思ったことがない、ということがあるのかもしれない。そういうことがあるとしたら、それはこどもさんに限った話ではもはやないのかもしれない。

 

ただ、少なくとも私よりもう少し上の世代の方々にとっては、音楽はもう少し属人的というか、それを発する誰かと密に結びついていたのではと思う。そしてさらに上の世代の方々にとっては、音楽は「そこにいる人」と密に結びついていたはず。

 

(世代というかなんというか)

 

(「そこにいる人」に関心を向けるか、また「音楽」に関心を向けるか、という点は措いておいて)

 

音楽を取り戻す

 

[音楽の]全体像がどこかへ行ってしまっていて(やっぱり何かが壊れたままだ)、録音して聴いてみるとアーティキュレーションがまるで「はまって」いない。しかたないのでテンポを落としてあえて無表情に吹き通すところからやり直してみる。

 

そして楽器を持たずに心の中で演奏。

 

そしてふだんは練習していない"Send in the clowns"を思いの丈を込めて夜の公園で。

 

それでようやく何かを少し取り戻した気が。

 

鳥と口笛とスケールと

 

今日は時間があったので、大濠公園でスケールをたっぷりとおさらいした。曲を演奏するより好きかもしれない。

 

今日はけっこういろいろな鳥が来た。スズメも来た。メジロがこちらを見ていたのにはちょっと驚いた。

 

「春よ、来い」を吹いていたら、通りかかったどなたかの口笛とユニゾンになった。黙って聴いてもらえるのもうれしいが、こどもたちがよくやるように、自分の好きな歌を勝手に歌い始めたりされるのもなかなか楽しい。

 

 

プラスティックのリコーダー

 

今日たまたま居合わせた野外ライブで演奏なさっていたデュオの方は、こどもの頃に使っていたとおっしゃるプラスティックのリコーダーを修繕して使っておられた。

 

 

拍手か足音か

 

「愛燦燦」を吹いていて、遠くから拍手のような足音のようなよくわからない音が聞こえて、きっと足音だろうと思って何もせず、ひょっとしたらまた失礼をしてしまったかもしれない。もう暗くて遠くはまったく見えなかった。もし私の勘違いだったらおわびしたい。

 

しかし気に病みようがない。

壊れたまま

 

なにかが壊れたまま、壊れる前から続けていたことを同じように続けようとしているのだとようやく自覚した。だからことごとく壊れている。音楽も。

 

音楽だけ直そうとしても直らない。

 

なので直そうとしないことにする。来週のピアノが終わったら、治るまでゆっくりしたい。

 

いただく言葉

 

騒がしかったらしい。 [このツイートをする前に検索で見かけたボットツイートを自分のオカリナへの言葉だと勘違いした]

 

いっぽうで、お世辞かもしれないけれど、いい音がしていたので…と来てくださった方も。お持ちの管の銘柄をうかがってびっくり。

 

何回か前からややみっちりスケールと高音域の運指練習をするようにした。