ぽつぽつ音楽野帳

小物楽器を野外で鳴らして、街角のピアノを弾いて、聞こえてくる音を聴いて。

ロビーピアノを弾くも音楽失調

 

それでロビーでピアノを弾いてきたのだけれども、録音を聴くと音楽失調が治っていない。

弾いている途中まではけっこうたくさん声が聞こえていたので、最後の「春に寄す」を弾き終えて立ち上がっておじぎをしたら、誰もいらっしゃらなかった。

(律動がおかしい。リズムにしても強弱にしても。自分では歌っているつもりがごつごつ・ぶつぶつしている。心から歌っていないように聞こえる)

 

街のピアノ

(浜松駅にもピアノがあるようなのだけれど、どれをRTしていいかわからない)

博多駅はピアノが恒久設置してあるということではないと思うけれど見ていないのでわからない)

 

自分の感覚だけれども、人前であるかどうか以前に、ピアノを鳴らすことができるだけでうれしい/ありがたい、というのがある。また、いろいろなメーカー/ 銘柄/調律・整音のピアノを弾いてみたいという気持ちがある。ロビーで初めて弾いたときは指が震えたが、いまはそういった緊張感には慣れた。

 

 

それぞれの木の下で

このごろはメタセコイアの下でオカリナを吹く。四角の植え枡から根が植え枡の形にはみ出している。木の梺にはたぶんタネツケバナだと思う草の鞘が並んでいる。ときどきしゃがんだりベンチに腰掛けたりしてひととき過ごす。

 

そんなふうにしてその下で過ごす木がそれぞれの場所にできてきた。

 

わたしは小さなともだちのために歌う

 

Per Wingeというノルウェーの作曲家が書いた"Jeg synger for min lille venn"(わたしは小さなともだちのために歌う)という歌をきょうは演奏した。

 

わたしは小さなともだちのために歌う  

なんども なんども歌う  

じぶんや おかねのためにわたしは歌わない  

こどものためにだけ歌う そう あなたのために

 

わたしはこの歌ひとつだけを歌う  

なんども なんどもきいたこの歌を  

わたしが 小さなわたしだったころに  

なんにもできなかったころに いまの あなたのように

 

手持ちのCDには作詞者が載っていなかったが、調べてみると歌詞はフィンランドのRafael Hertzbergによる詩をNordahl Rolfsenがノルウェー語に訳したものらしい。

ふいにおぼろに思い出してもう一度聴きたくなり、しまいこんでいたCDを引き出して聴いた。女性歌手がノルウェーの子どもの(子どもたちに歌って聞かせる)歌を歌ったCDで、短い歌がたくさん収録されていて、そのさいごにこの歌がしずかに入っている。

 

雨になった。

 

 

セントルイスブルース

 

公園でときどきお会いするブルースマンの方にセントルイスブルースのお手合わせをいただく。先週は私がブルースの基本を押さえていなくて大失敗したが、今度はおかげさまでいくらかかたちになった。

 

なんでもないおんがくをかえせ

 

O公園で聞いた話はかなりショックでもあり残念でもあった。というか公園含めて街には目的的でない場所はもう残っていないのかとあらためて思った。

音楽も「目的」に合ったものだけが許されるのではたまったものではない。そんなことをしていたら音楽がだめになる。それより前にひとがだめになる。

なんでもないおんがくをかえせ、と、誰かが声を上げる日が来るだろうか。そのとき、その声は無音なのではないだろうか。

 

伝説のトランぺッター

 

大濠公園でフルートならたぶんあの方だ…明日も吹いておられるだろうか)[ツイート検索で見かけたツイートのこと]

大濠公園でいろんな方からお話を聞くのは伝説のトランぺッターの男性の方のこと。私も耳にしたことがあるかもしれないけれど以前は草を見るばかりだったので)

(いまよく来られている○さんも伝説への道を歩いておられるところだと思う)